正月に、「現代 有機農業心得」藤本敏夫著 を読みました。
著者はご存じ歌手加藤登紀子の旦那であり、学生運動が高じて実刑判決を受けて入獄。出所後は無農薬有機農業の世界に入り「大地の会」を設立。という異色の経歴の持ち主です。
この本を読んで一番感じたのは、私が里山倶楽部にきて9年経ってやっと分かったこと(自然農場日記1月号参照)を彼は30年前にすでに主張していたことでした。またそのことがこの本の根幹をなしています。私がここでごちゃごちゃ言うよりポイント部分を抜粋して紹介します。
農業の本然たる役割を暗示する山間地農業(p274)
さて、多少回り道をしたが、山間地農業の新しい役割というテーマにやっとたどり着いた。私たちはいまこそ、近代農業が分水嶺を過ぎたという、ライフサイクルに対する冷静な判断と、その次の時代をつくる質が、どこに芽を出しているかを見る、鋭い観察力を身につけよう。結論をいえば、その新しい芽は、山間地農業の現場にあると、私は判断したいと思う。考えれば、山間地は近代農業から取り残された地域であった。先達が長い年月と、血のにじむような努力でつくり上げてきた段々の水田や畑は、およそ巨大化、分業化、平均化にそぐわないものであった。つまり、機械化、農薬・化学肥料多用、単作にマッチしない現場であった。だから生産性が上がらず、現金収入の見込みは立たず、若者は去り、老人ばかりの過疎村となった。山間地は無用の地として打ち捨てられ、山村の没落が常識のように語られた。私の入った房総嶺岡の山中、大田代の集落もそうであった。しかし、時代は大きく一巡したのだ。山間地は一周遅れのトップランナーとして、いまの時代が必要としていること、農業の本然たる役割を暗示しはじめたのである。
都市住民の中山間地域への大移動(p302)
ことは人類史数百万年の構造の問題です。人類の移動の流れを逆転させ、都市から森と草原の接点へと人びとを誘導しなければならないのです。私たちの祖先は何百万年も森と草原の接点に生活していたのですから、現在の私たちの体自体がその時代の生活と環境に合致した機能を色濃く残しています。西丸震哉さん流にいえば人間の生理機能は百万年単位でないと変化しないということですから、二十世紀末のいまに生きる私たちの体も百万年前の森と草原の接点の環境に合った生理機能のままいるということになります。森と草原の接点とは、里山と隣接する田畑すなわち山村ということですが、私たちの体は山村にいることに最も合致していると理解できます。これは細胞と魂の問題ですから、思想や考えの次元の話ではありません。体そのものが森と草原の接点を欲しているということなのです。したがって結論は、「都市住民の中山間地域への大移動」です。これ以外に解決策はありません。最も、かなり長期の過渡期の間、大移動は一過性、短期、中期、長期の滞在という段階を踏むでしょう。リゾートの観点より見れば「一過性観光」「滞在型リゾート」「半定住」「定住」ということになります。その中で人びとは、成人病、子どもの生命教育という差し迫った課題への解決策を見出すに違いありません。そして大きくは、自らの安息と魂の安らぎを通して新しい時代文明の質量を具体的な日常生活の中に見出していくことでしょう。
人間と地球に進行している病気(p276)
ひと昔前、人間生存にとっての脅威は食料の不足と感染性疾患であった。しかしいま、先進国といわれる国々において、食べ物は街中に溢れ、人びとは飽食の海に漂っている。そして、伝染病に代表される感染性疾患は抗生物質の開発、殺虫・殺菌剤の大量使用によって激減した。感染病とは菌が原因で起きる病気だから、その菌を殺せば解決されるから、敵が外部にいるということは闘いやすいということができる。人びとはその敵を一つ一つ発見し、殺していった。そのむかし、不治の病と恐れられ、悲恋物語につきものであった結核も、いまはほとんど私たちの前から姿を消している。そして、それに代わって登場したのが、代謝疾患、退行性疾患といわれる成人病であった。この病気の特色は、その原因が「菌」ではなく、自らの生活の質にあるということであろう。敵が外部ではなく、内部にいるということ、いやむしろ自分自身が敵であるということほど、私たちを混乱させるものはない。かくして、日本人の成人死亡原因の七0%以上が退行性疾患たる成人病であり、二0兆円以上の医療関係費をつぎ込んでも、その数は年々拡大し続けている。地球の退化も、きわめて深刻であることは論をまたない。毎日、数多くのマスメディアを通し、地球環境の現実を私たちは目にし、耳にしている。公害問題がクローズアップされたのは一九六0年代後半であったが、そのとき、私たちはまだ、地球環境の汚染が一部の工場の排煙や排水のせいであると思っていた。しかし、九0年代のいま、環境汚染の原因が私たちの生活の質そのものにあるということがわかってきた。私たちはやっと「豊かさ」と「便りさ」が地球生態を切断し、環境を破壊しているということを理解しはじめたのであった。
私たちは「食」と「環境」によって規定されている。何を食べているか、どのような自然環境、社会環境のなかで生活しているか。この二点が、私たちのいまをかたちづくっているのである。農業の役割は、実にこの点に凝縮されている。「食ベもの」を生産し、「環境」を左右するものは農業である。つまり私たちの現実をつくるのは農業であるということだ。