里山倶楽部自然農場日記7月号 NO126

2019.6.29


2019 玉ねぎ

今月はショックな出来事を報告しなければなりません。

先日「道の駅」から一斉メールがあって、内容は「×日Sさんが亡くなりました。お通夜は・・・、告別式は・・日。」というもの。道の駅からのこのような一斉メールは時々あるので不思議ではないのと、田舎では同じ苗字の人が多いので、まさか私が知っているSさんとは思わずにいました。
ところが一週間たったある日、取引先の人から「鈴木さん、Sさんが亡くなったのご存じ?」という連絡がはいったのです。「えーー」絶句しました。
Sさんとはそんなに懇意にしていたわけではありません。歳は私より10歳くらい下?でも取引先が同じだったこともあって作付け会議には常に顔を合わせていました。彼が菊芋を作りたいと言うので種を分けてあげたりしたこともあります。彼の農場の様子は車で素通りするたびにちょこちょこ見ていましたが、「よくやってるなー」といつも感心していました。私も25年農業やってるのでこの農場はどのくらい手間がかかっているか一目で分かります。「一人でこれだけのことをこなす彼は一体何者ぞ!」といつも尊敬の思いで彼をみてきました。彼は3~4年前に会社を辞め(停年退職?)その後がむしゃらに里山で農業をやってきたようです
そんな彼が突然目の前からいなくなったのです。
その後彼と同じ村の農家の方に話を聞くチャンスがありました。何故Sさんがいなくなったのか?「すごく頑張っていたのでほとんど寝てなかったのとちがうか?夜田んぼの水を見に行ったときに過労による心停止、発作で突然倒れたようだ。朝近所の人が田んぼの中にうつ伏せで顔を水面につけた状態の彼を発見したらしいでー」
あー辛い!あの規模で栽培から、収穫、出荷を全て自分一人でやったら寝るひまはないでしょう。私も似たようなことをやってるので彼の気持ちがよく分かります。
今年の初春のある日夕方5時頃、仕事を終えて山を下っていたら、逆に山の方へ上がってくるトラクターがあるではありませんか。運転している人はSさんでした。えー!こんな時間、薄暗くなってきているのに、今からトラクターで耕運?すごいなーとビックリしたことがありました。
なぜ彼がそこまでやらねばならなかったのか?単純に農業が好きだからだけではあそこまではやりません。経済的にかなり追い込まれていたから(設備投資資金の回収とか?)だと私は勝手に想像しています。家族農業がどうだこうだといっているかたわらにこのような悲劇的現実があるのです。
彼がある作付け会議の時、私が無農薬で野菜を作っていると発言したら、彼が羨ましそうな顔をして「無農薬農業なんて無理だよなー」とポツリといった言葉が忘れられません。切羽詰った彼の農業では無農薬という手間のかかる農業はやりたくともできなかったのでしょう。
私はSさんと似た農業形態をしながらSさんと大きく違うところがあります。それは私には里山倶楽部という仲間がいて陰ながらささえてくれているからです。それ以外にもスモールファーム自給塾の塾生、イポイポ村の仲間たち・・・。Sさんは全て一人での完結を目指さざるを得なかった。その結果があのような悲劇を生んでしまったのです。誰も助けてあげられませんでした。
彼の無念さを思うと辛くて辛くて・・・しばらく立ち上がれません。
ベートーベンの交響曲第3番「英雄」の第2楽章をSさんに捧げてご冥福をお祈り申し上げます。

余談ですが、今年は思いのほか玉ねぎが大豊作でした。それはとっても嬉しいんですが、その後の保存するための玉ねぎつるしの作業が大変な時間と労力がかかりました。でもスモールファーム自給塾の塾生や、イポイポ村の仲間たちが時間を割いて助けてくれたのです。本当に感謝感謝です。自然農場は仲間に助けられて存在していることを改めて確認させていただきました。

お客様の声

自然農場のセット野菜のお陰で子供たちも自然と野菜に興味を持つようになりました。旬の野菜も感じることができ、毎週本当にありがたい贈り物です。どんな野菜が入っているのかな、と私が一番楽しみにしています。
                       (Sさま)

たまちゃんのつぶやき

田植えがぼちぼち終わりになってきました。代かきをして水を入れて・・・水がもれたらモグラが穴をあけているところを探してふさいだり・・・そんなこんなをのりこえて小さな稲がまだ頼りなげに並んでいます。その間をツバメがとんだりカエルが泳いだりーこれから大きくなり秋の実りまで今年も無事にすごせますように。そしてこの風景や技術がこれからも引きつがれていきますようにー。

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